Shrink Fのブログ

精神科開業医が日々思うこと 〜あまり仕事とは関係ない〜

魚の居るところ 〜魚取りのルール〜

私は和歌山県に住んでいる。近畿では陸の孤島と名高い?和歌山は磯採集を趣味とする者にはとても恵まれた地である。南紀のある町などは聖地とまで言われ、はるばる関東地方から来る人も多い。が、しかし、その和歌山においても、どこの磯でも魚が居るのかといえばそうではない。綺麗な魚はなかなか居ないのである。ちなみに汚い魚(かなり主観的)はどこにでもいます。

それでは綺麗な魚はいったいどこに居るんや。この趣味を持つ者にとって喉の奥から手の出るほど欲しい情報である。しかし実際は自分で探すしかない。魚の居場所を他人から教えてもらおうと期待するのは良くないのである。ラーメン屋に行って秘伝の出汁の作り方を教えてくれというようなものである。自分なりに地図などを参考に通いつめて、徐々に、ホームグラウンドを作っていく。その過程で、同じ趣味の人と出会えば情報交換しながら運良く、自分のホームグラウンドが出来ていくこともある。

しかしお気に入りの場所、ホームグラウンドというのはそう沢山出来るものではない。和歌山県内に住む私でも魚採りに行くなら失敗はしたくない。いつも、魚の採れる、大きく外れのない、まあ、ある程度保険のかかった、「いつもの」場所へと自然と足が向いてしまう。新規にホームグラウンドを開拓するのは、外れてせっかくの一日を無駄にするというリスクのほうが通常高いために、なかなか難しいものである。他人から見れば大していい場所ではないのに足繁く「ホームグラウンド」に通い詰める採集家は多い。採集家には自分のホームグラウンドに対しては並々ならる想いがある。

私もやはり、自然とホームグラウンドに足が向いてしまう。魚が居ないとある程度わかっていても、2日連続でも、時には泊りがけで3日連続という非常にもったいないこともしてしまう。夜のうちに魚が入っているかも、台風が魚を運んでくれているかも。いつもいつも淡い期待を抱いてしまうが、たいてい外れる。100%外れならまだいいが、たまたま当たってしまう事がある。運がいいのか悪いのか。自然相手だから仕方がない。そしていつもそれを期待してしまう。他人から見ればあんな所でなんで魚採るのやろ、しかも毎回、と思われるが、本人は大事な一日をその場所に賭けているのである。博打に似ている。

故にマナーがある。他人から教えてもらった場所はその人の許可なしに他人に教えないこと。親兄弟でも微妙なところである。いわんやインターネットを通じて、公開したりするのはこの世界のご法度と言って良く、生きていけなくなる。たとえそれが他人から教えてもらった場所でなくても、その人から見て陳腐な場所でも、そこをホームと思っている人から見ればものすごいショックなことなのである。「海はみんなのもの」はこのときばかりは通じない。

自分の場所に人がいっぱい、荒らされたらどうしよう?俺の採る魚がなくなるよー。このような不安で頭が一杯になり、精神衛生によろしくない。であるから、本当のお気に入り場所はそうそう他人には明かさないと考えてよい。お気に入りその2、その3くらいかもしれないが、それでも口外して
はならない。



「掟」を守ってこの趣味を全うしたいものである。